『三島由紀夫  命売ります』

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秘密組織
スパイ活動
機密文書の暗号解読
吸血鬼
薬の人体実験
 
☝️この小説の中のキーワードたち。荒唐無稽なようだが、読んでいてまったく違和感がなく、うっとりするくらい美しい日本語で綴られた三島由紀夫の小説だ。
 
カテゴリーで言えば、SF小説?冒険小説?エンターテイメント小説?それともハードボイルドかなあ。ユーモアたっぷりで、意外や、官能的なシーンもあり。読み始めると、完全に引き込まる。上質のユーモアで、圧倒的に心をつかまれた。
 
朝の通勤電車に乗って読み始め、電車を下り損ないそうになりながら、会社の最寄駅で下りて、地下鉄の駅から、22階の自分のデスクまで、本を読みながら歩かずにいられなかった。お昼休みに読みながら、読み終わってしまうのが惜しくて、あ〜、もうおわってしまいそう、読むのがもったいないと、本をぱらぱらさせながら読んだくらいだ。
 

この小説は、なんと1968年に「週刊プレイボーイ」に連載された小説です。およそ50年前の作品だなんて、まったく古さを感じさせない。日本語ファンの私としては、日本語はこんなにも美しかったのね、とため息が出た。比喩表現がいたるところに散りばめられているので、文章を読んでいるにもかかわらず、あたかも映像を見ているかのように、情景が目の前に鮮明に再現できるのだ。色や、形だけでなく、気配や、登場人物の性格や感情までも。
 
ひとつこの時代ならではと思ったのは、携帯電話がない時代なので、依頼人と連絡をとるために、新宿駅の伝言板を使うくだりがあった。むふふ、これは、今の若者にはなんのことやらわからないかも。
 
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三流新聞の求職欄に、次のような広告を出した。
「命売ります。お好きな目的にお使い下さい。当方、27歳男子。秘密は一切守り、決して迷惑はおかけしません」
そしてアパートの住所をつけておき、自室のドアには、
「ライフ・フォア・セイル 山田羽仁男」と洒落たレタリングを貼った。
 
自殺をしそこなった羽仁男の前には、何だかカラッポな、すばらしい自由な世界がひらけた。その日から、今まで永遠につづくと思われた毎日がポツリと切れて、何事も可能になったような気がした。その日その日が二度と訪れず、毎日毎日がちゃんと息絶えて、カエルの死骸みたいに白い腹を見せて並んでいる姿が明瞭に見える。
 
重いはずの「人の命」を売り買いする話だ。にもかかわらず、暗さが一切なくて、妙にわくわくしながら読める。それは多分、主人公が、生きることへの執着を完全に手放すことによって、すべての恐れから解放され、その日、その瞬間を存分に楽しみしながら、生きているからだろう。
 
わたしは、羽仁男と一緒に、何が起こるかわからない未来にドキドキはらはらしながら、体験したことがない展開を期待をしながら、これが本当に最後かもしれないと思いながら、このひとときを味わい、堪能する感覚を味わった。心が高鳴る。その瞬間、自然やモノを慈しみ、他人を愛しいと思う気持ちが、文章からひしひしと伝わってきた。
 
命を売ると言いつつ、すんでのところで、いつも命拾いをする経験を重ねているうちに、羽仁男に、生きることへの執着が生まれた。そうなった途端、恐怖に突き動かされながら、生き始めることになる。実は、この辺りで、読んでいるわたしまで、胸が苦しくなってきた。ゆうべは、眠る直前まで読んでいたので、そのままお布団に入ったら、胸の上に手のひらを置くと、心臓がドックンドックン脈打っていて、まるですごく驚く体験をした後みたいだった。そんなに恐怖って大きいのか・・・と改めて思った。
 
作者が考える「生きている」とは、普通の生とは多分逆だ。羽仁男がお勤めをしていた時のように、毎日鼠色の背広を着て、無駄にモダンな空間で仕事をしていた時は、実はココロが「死んで」いて、よ〜しゃ〜と死ねるぞ〜と、わくわくしながら毎日を過ごしているのが、ココロが「生きている」状態なのだ。
 
そう考えると「今この瞬間」をできるだけ恐怖を持たずにニュートラルに生きることが、本当の意味で「生きる」ことの積み重ねになるのだろう。羽仁男のように、今に身を任せて、風に吹かれるタンポポのようにふわふわと自分の着地点を探す。自分ってなんだろう。感情が教えてくれるとしたら、多分、嬉しい、楽しい、好きだな、かわいい、そう思う感覚の集まりが自分なのかなと思った。
 

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